祝う人がいてくれるなら

 


鵺野はふと目に付いたケーキ屋に足を踏み入れた。
何となく甘いものが食べたくて、コンビニで菓子でも買っていこうかと思ったとき、そのケーキ屋が目に入ったのだ。
普段なら、ケーキが食べたくなってもケーキ屋に入ることはない。
スーパーでたまに安く売っているショートケーキを買うのが鵺野の常である。
だが、今日はたまたま給料日だったから、少し気が大きくなっていたのだろう。

「いらっしゃいませ」

ケーキが並んだガラスケースの向こうから、若い女性店員がにこやかに声を掛ける。
鵺野は食い入るように色とりどりのケーキを見つめる。
定番のショートケーキから、小難しい名前のしゃれたケーキまで順番に眺めるがどれもこれも美味しそうで迷ってしまう。
かといってやっぱり貧乏性な鵺野には、ほしいものを好きなだけ買う気前よさはない。
全種類食べ尽くせる自信はあるけれど。

「ん?」

ふと鵺野は視線をとめる。
カットされたケーキの横に並べられたホールケーキ。
その一つに「お誕生日用・名前すぐ入れられます」とあった。

「誕生日?」

思わずつぶやく。
今日は誰かの誕生日だった気がする。
広? 郷子? いや生徒ではなく…しかし学校の名簿で見た気がするのだが。

「あ」

暫く考え込んで鵺野は唐突にその相手を思い出した。

 

 

 

 

「はい…
 って鵺野先生?」

思い切り不機嫌そうにドアを開けた玉藻は、そこに立っていたのが鵺野だと知って思わず間抜けな声をあげた。
昨日は急患が入って緊急手術をする羽目になって非常に忙しかった。
たまたま今日は午後から休暇を取っていたのでゆっくりしようと思っていたのに、そこに五月蠅くチャイムを鳴らす輩が来たので、最初は居留守を決め込んでいた玉藻だったが、あんまりしつこいので、腹が立って出てみれば鵺野だったのでなんだか拍子抜けしてしまった。

「玉藻〜
 ハッピィバースディ〜♪」

その上、一瞬玉藻の不機嫌さに怯んだ鵺野だったが、持ち前のずうずうしさからか、さして気にとめる風もなく満面の笑みを浮かべてそう言うと白い箱を玉藻に突きつけたので、玉藻はいっそう脱力してしまった。

「…まったく何の用かと思えば」

鵺野の奇行にいちいち驚いていては、とても付き合っていけないけれど、今日は少し予想外過ぎて玉藻は普段の冷静さを取り戻すのに暫くかかった。
鵺野をとりあえず部屋にあげて、お茶の支度をする。
紅茶を入れてリビングに戻れば、すっかりくつろいだ鵺野がソファにだらしなく座り込んでいた。

「何だよ
 だってお前の誕生日だろ今日」

「私じゃなくて南雲明彦の誕生日ですが」

「あ、そうなのか」

鵺野が思わず目を見開いて声をあげる。
玉藻はそれを冷ややかに見下ろした。

「そうですよ
 まぁ私本来の誕生日なんて知りませんしね
 今暮らしているここでは今日が誕生日でいいんでしょうが」

一瞬しょげたように見えた鵺野が哀れに思えて、玉藻はさりげなくフォローを入れる。

「そっか
 だったらよかった
 ケーキ無駄にしちまうとこだった
 だってせっかくプレート書いて貰ったんだぜ
 ほら開けてみろよ」

別に誕生日だろうと何だろうとケーキ自体は無駄にならないだろう、と思いつつ、玉藻は黙ってケーキの箱を受け取って開けた。
中からは少し小振りなホールケーキが出てきた。
イチゴといくつかの果物が乗った、オーソドックスなケーキで真ん中にどんと置かれたチョコプレートに「HAPPY BIRTHDAY TAMAMO !」と書いてあった。
ついでに細い蝋燭が三十本ほど入っていた。
思わず玉藻は蝋燭をつまみ上げる。

「あ〜一応蝋燭の本数聞かれたんだけど
 さすがに400本とかは言えなくてな…
 適当に貰ったんだ
 っていうかお前一体いくつなんだ?」

「は?」

「いや妖狐の年齢じゃなくて
 今の玉藻京介としての年齢」

「二十七…あぁそうしたら今日で二十八ですね」

「二十八!?
 ちょっとまて…お前俺より年上な設定なのか!
 見てくれは二十歳そこそこだろうがっ
 てか教育実習生で来たんだから二十一か二十二じゃないのか?」

鵺野はまた大声を上げる。
玉藻は面倒くさそうに鵺野を見遣る。

「童守小に実習に行ったときはそうですよ
 まぁ実際矛盾生じてしまうんですけどね
 小学校には教育学部出身じゃないと実習にいかないし
 医者には基本的に医学部出身じゃないとなれないわけですから」

「ホントだ…
 お前なんなんだよ」

「何だって…私は妖狐ですよ
 人を化かすのは十八番です
 経歴なんてどうとでも出来るし誰も疑問に
 思いませんから…」

玉藻はしれっと言い放つ。
南雲の死んだときの年齢はおそらく二十歳ちょっとだから、今の玉藻の見かけの年齢は確かに二十歳くらいなのだろう。
だから広の髑髏を手に入れるためにここに来たときは教育実習生を装ったのだ。
その後、人の愛を知りたくてその手段として選んだのが医者だった。
しかし医者の資格を受けられる可能性のある年齢は最低でも医大の六年生…二十四歳前後である。さらにそこから研修生という時期があるから、まともに医師として自由に動ける年齢はどんなに早くても二十七,八になってしまうのだ。
それ故に、玉藻は偽りの経歴の年齢を引き上げなければならなかった。
おかげで一年の間に五歳ほど年齢が変わってしまったが、鵺野たち一部の玉藻の正体を知る人間を除けば、教育実習生の玉藻京介と、医師の玉藻京介は別人である。
だいたい郷子たちも医師や教師になる資格について漠然とした知識しかないから、特に暗示を掛けなくてもさほど疑問にも思わなかったので、玉藻もその辺はアバウトだった。
現に鵺野ですら今頃気がついたのだ。

「うーんそうか…
 確かに世間的にはそうしなきゃならんのか…
 てか年上…」

鵺野は玉藻の経歴詐称には異議はなかったが(別に人に迷惑をかけるものではないので)、その突きつけられた偽りの年齢にショックを受けたらしい。
玉藻はそんな鵺野が理解できない。

「何落ち込んでいるんですか?
 私は貴方より何百年も年上なんですけど…もともと」

「それはわかっているけどさぁ…
 四百歳とかはピンと来ないからいいんだよ
 でも二十七とか八とか言われるとなぁ
 なんかショックだ」

「馬鹿馬鹿しい
 私がいくつかなんてどうでもいいじゃないですか
 というか先生は嘘でも私が年下であってほしかったんですか?」

「ん〜なんとなく
 てか俺お前を年上って思えないんだよなぁ
 お前しっかりしてそうでどこか危なっかしいし」

「先生ってあれですよね…
 自分の保護下に相手が収まってないと気が済まないんでしょう?
 私は生徒じゃなくて貴方のライバルのつもりなんですけどね」

「ん〜そう言われればそうかな
 だって好きな相手は守ってあげたくなるじゃないか
 だから何となく年下っぽく思っていたのかも…」

鵺野が何気なく、とんでもない台詞を吐いたが、玉藻はあえて無視した。
それはこっちの台詞だ。
玉藻にとっては、鵺野を敬愛しているけれど、やはり儚い人間だという意識がある。
共に戦い肩を並べることは望むが、庇護されることなど望まない。
玉藻はちらりと部屋の隅にある姿見を見遣る。
そこに映る二人の姿…確かに自分の方が若く見える気がする。
南雲自身が綺麗な容姿だったとはいえ、人間は完璧な美を持つ事は出来ない。
だが玉藻は人間の身体の機能故の老化や疲れ等はまったくない。
それ故人が持ち得ない美しさを得ていて、いっそう若く見える。
ただ、本来四百年生きているその知性ともいえるものが表情に出るから、一種の老成した雰囲気が宿り、年齢不詳にも見える。
玉藻はまだ何かぶつぶつ言っている鵺野に視線を戻す。
普通にしていれば年相応にみえるが、こうしていると子供っぽくも見える。
何かを守るため戦う鵺野は、威厳があり崇高さもあるが、普段は頼りなくて情けないダメ人間にしかみえない。
それでも鵺野は玉藻を己の庇護下に置きたいと思うのか。
玉藻からすれば何となく不愉快だった。

「私から見ればそうしている貴方は大きな子供ですよ
 包容力を見せたいならもっとちゃんとしてください
 ほら紅茶さめちゃうし
 せっかく持ってきてくれたケーキなんだから
 一緒に食べましょう」

「ん〜そうだな
 悩んでも仕方ないしな
 よしっケーキケーキ♪」

鵺野はあっさり気分を切り替えると笑みを浮かべた。
そんなところがいっそう子供っぽいのだと玉藻は思ったが、これ以上この話をする気になれなかった。

「ま、じゃぁ二十八というならちゃんと二十八本立てるか」

そしてせっかく綺麗なデコレーションケーキに容赦なく蝋燭を突き立てていく鵺野を玉藻は生温い笑みを浮かべて見つめた。

 

 

 


「は〜喰った喰った
 美味かったなこのケーキ」

「そうですね…」

玉藻は満足そうな鵺野を苦笑混じりに見つめる。
二十八本の蝋燭に火を付けて、鵺野が誕生日の歌を歌うのに合わせて火を吹き消すよう言われた。
まったくこれでは小学生の誕生会のノリである。
そしてホールケーキの大半は鵺野の腹に収まった。
鵺野が買ってきたものだし、玉藻はそんなに甘いものを食べないからいいのだが、これでは単に誕生日をダシにケーキを食べに来ただけではないか。
それでも、玉藻本人すらどうでもよかった誕生日を覚えていて祝ってくれるという心は悪くないと玉藻は思った。

「さて…」

満足したのか鵺野が帰るそぶりを見せたので、無意識に玉藻は鵺野の服を掴んだ。

「玉藻?」

「先生…今日は泊まっていきませんか?」

「え?」

「明日土曜日だから学校お休みでしょう?
 私も明日は遅番だから午前中は家にいますから」

「そ、そうか…でも」

少し戸惑ったように逡巡する鵺野に玉藻はふっと笑みを浮かべると、リビングの飾り戸棚から一本の瓶を取り出してきた。

「これ…ヴィンテージもののワインなんですけど
 せっかくだからコレ開けて一緒に飲みませんか?
 それとこないだドイツにいった同僚からハムとチーズ
 貰ったのがあるんですけどね」

「いいのか?」

「いつか飲まなきゃならないですし
 誕生日に開けるならいいじゃないですか
 ね?」

玉藻はあくまでもさりげなく振る舞った。
鵺野が食べ物に釣られないわけがない。
こんな高級ワインは鵺野には自分で買って飲むことなどないのだからこのチャンスを逃す訳はないのだ。

「夜は大人の楽しみ方をしましょうよ」

「そ、そうだな…
 せっかく誕生日だもんな
 一人じゃあれだし一緒にいてやるよ」

ワインを前によだれを垂らしそうな顔で、それでも鵺野はいかにも玉藻の為というようにそう言った。

「ありがとうございます」

玉藻はにっこり笑う。
本当にこういうところは扱いやすいけれど、だが少し本音を知られた気もしないでもない。
今日が普通の日ならどうでもよかったが、誕生日だと言われると何となく誰かと…大切な誰かと一緒に…そう鵺野と一緒に居たかった。
決してそれを口にする気はないけれど。

「それじゃぁあとピザでも注文しましょうか
 寿司でもいいけどワインに合わないし」

「いいねぇ
 特大サイズ頼むわ」

「はいはい」

やっぱり鵺野の方が子供っぽいなと玉藻は思いつつ、笑顔で頷いた。

偽りの誕生日であり、産み育てた親というものも無いから、玉藻にとって「誕生日」など何の価値もないものだったけれど、鵺野がこうして居てくれるのなら、誕生日も悪くないと玉藻は何となく暖かい気持ちになった。

 

END