その笑顔は

 

彼は微笑んで言った。
「君が助けてくれたんだよ」

俺はあんたを助けた覚えはない
それどころか知らない

そう答えたら
寂しそうに微笑んでこう言った。

「君が知らなくても確かに僕は君に助けて貰ったんだ」

その不可解な言葉よりその寂しそうな笑顔がなぜか鋭く胸に突き刺さった。

 


達哉はぼんやりと公園の時計を見上げた。待ち合わせ時間からもう30分以上過ぎている。だが達哉が待っている訳ではない。待ち合わせ場所は公園ではなく駅前だ。待ち合わせ場所へ行かずこんなところでただベンチに腰掛け時を無為に過ごしている。

まだ彼は待っているだろうか?

行かなくてはいけない。
約束したのだから。
確かにそれは他愛のない遊びの約束。
行けなくなったのなら一言携帯にかけるかメールでもすればいい。
だが達哉は用事があって行けないわけではない。ただ行かないのだ。
いつの間にか友達のようになって時々学校帰りや休みの日に遊びに行くようになった他校生。
橿原淳という名の少年。
本来気の合うタイプだとは思わないが何故か達哉は淳に惹かれた。
だから友達のようにつきあっていることは嫌ではない。
でも時々何故か心が苦しくなる。
最初に彼が寂しそうに笑ったその表情をみた時に感じたあの痛み。それが時折予告もなく訪れる。あれから一度も彼のそんな表情はみたことがないというのに。

彼はいつも優しい笑顔を達哉に向ける。約束の時間に遅れても笑って迎えてくれる。
だがそれが達哉は何故か苦しかった。
あの寂しそうな笑顔はではないはずなのに。

約束の時間から1時間近く経とうとしていた。携帯の電源は切ってある。淳から仮に連絡があったとしても電源を入れない限りそれは分からない。確かめる気もない。
これだけ遅れても彼は待っているだろうか?
そして咎めることなくまた笑顔で迎えてくれるのだろうか?

行かなくてはいけない。
行かないならそう告げなければいけない。

だが達哉はどれも行動に移すことが出来ずその場から動かなかった。

 


公園には人はまばらでぼんやりベンチに1時間も座っている達哉に気を止めるものはいなかったが、達哉はふと行き交う人々の中で自分と同じようにずっとそこにいる人間に気が付いた。ベンチから少し離れた街路灯に凭れるようにして一人の少年が立っている。まったく気にしていなかったがそう言えば達哉がここに腰を下ろしてからずっとそこにいた。

「!?」

何気なくこちらを向いた少年に達哉はどきりとした。
一瞬、その少年が淳に見えた。
思わず瞬きをして達哉が少年にもう一度目を向けると、少年は達哉の方から公園の入り口の方へ視線を向けていた。
達哉はその横顔をじっと見つめた。
淳ではない。似てはいるが見間違うほどではなかった。淳よりずっと幼い感じで中学生くらいだろうか。
泣きそうな顔をしている、と達哉は思った。
少年は時折携帯を取り出しては軽くため息をつき、また公園の入り口を見ている。

誰かを待っているのだ。
おそらく約束の時間を過ぎても現れない誰かを。

達哉は何故か目を反らす事が出来ずに少年を見つめた。
少年は達哉の視線に気付かず、ただ携帯と入り口を交互にみている。
そしてため息をついては、はっとしたように妙な表情を作る。
しばらくして達哉はその表情が「笑顔」であることに気付いた。
背筋にぞわりと嫌な感覚が走った。

少年は誰かを待っている。
いつから待っているのか、いつが待ち合わせ時間なのか分からないが達哉が知る限り1時間彼はそこにいる。
それでも帰らない。
相手が来ることを心待ちにしているのだ。
そしてその相手はきっと何度もこの少年をこうして待たせているのだろう。

少年の待つ相手が友達か、恋人か、それはわからない。ただ少年にとって大切な人なのだろう。
だから来ないかもしれなくても待っているのだ。

そしてその相手が来たならば笑顔で迎えようとしているのだ。
だから本当は泣きたいのだろうに必死で笑顔を作ろうとしている。
もし、今少年の待ち人が現れたなら、彼はきっと笑顔で迎えるのだろう。
泣きそうな顔で孤独にまっていた事など感じさせないように。
それは会えた喜びの笑顔ではなく、相手に負担をかけないための笑顔。

達哉は思わず立ち上がった。
その気配にふっと少年はこちらを向いた。


泣きそうな笑顔を浮かべて。

 

再びその顔が淳と重なった。

達哉は自分の愚かさを知った。

きっと待っている。

待ち合わせ場所で、駅の雑踏の中で、この少年のように泣きそうな笑顔で。
淳は達哉を待っている。

いつまでも。

そして会えたらあの「笑顔」で迎えるのだ。

淳の笑顔をみて苦しいのはそのせいだ。
偽りの微笑みだから、達哉を苦しめないための笑顔だから。

だから苦しいのだ。

 


「………っ」

不意に叫ぶような声が聞こえた。
その方向へ目をやるとこちらへ走ってくる少年の姿があった。
その少年は街路灯の前の少年に駆け寄った。
驚いたように待っていた少年は目を見開き、走ってきた少年を見上げた。

きっと遅れても走ってきたことなど無かったのだろう。待ち人であろう相手を迎えた少年は笑顔もをなく呆然と立ちつくす。
走ってきた少年は息を整えると何事かを待っていた少年にささやいた。
達哉には何をいっているのか聞こえなかったが、それを聞いたかの少年は最初は驚いたようにそしてやがて

笑顔を相手にみせた。

 

とても綺麗な幸せそうな笑顔を。

 

それをみて相手の少年も優しい笑みを返す。

やがて二人は楽しそうに何事か話しながらその場を離れた。

ふと後から来た少年が顔をあげ、達哉と一瞬視線が交わる。
達哉がみていたことに気付いたのだろう。うさんくさそうに達哉を最初睨んだが何故かふと何かに気付いたようにかるく目を見開いた。
そして何かをつぶやく。
声には出してない。
だがそれは明らかに達哉に向けてのメッセージだった。

 

い け よ

 

少年の口はそう動いた。


お前も自分をまつ相手の所へ行け

そう達哉には聞こえた。

 

達哉は弾かれるように走り出した。

全速力で。
必死に走った。

あの少年のように泣きそうなのを我慢して笑顔を作ろうとしているであろう自分をまつ淳の元へ。
走っていけば、そして今まで無為に待たせた訳をちゃんと告げよう。
そうすれば、待つ淳のつらさを、その悲しい笑顔を解き放てるだろうか。
あの少年が最後にみせたように本当の「笑顔」を見せてくれるだろうか。

本当の彼の笑顔を見るために。

自分が本当に彼を笑顔に出来るように。

それを願って。

達哉は走った。

自分を待つ淳の元へ。

 

END